住宅建築の表層をめぐって

乾久美子+山本想太郎

広尾の集合住宅と山本邸
山本──乾さんの建築でまず思い浮かべられるのは、商業系施設の大きなファサードをグラフィカルにデザインされている作品だと思いますが、現在、独立されて以来初めて住宅の設計をなさっていると伺っています。そこで今日は住宅とほかの建物の表層、ファサードはどのように違うのかということについて話をしたいと思います。初めに画像をお見せし、その後トークを始めます。

山本想太郎 乾久美子
左:山本想太郎氏/右:乾久美子氏

乾──2000年に事務所をスタートして以来商業系の内装や外装の仕事が続いています。住宅は今回が初めてで、今は実施設計を終えてそろそろ工務店が決まるという段階です。
今回お見せするのはそのプロジェクトの模型と図面です。住宅といっても内容は集合住宅で、場所は渋谷区の広尾です。奥行きが6メートル、接道している長さが8メートルというとても小さな敷地に、専有面積20平米のワンルームタイプの住戸を5つ以上作りたいというのがお施主さんの要望でした。それに対して1フロアに1住戸として、それを単純に積み上げていくことが最もロスが少ないことがスタディからわかったので、このような縦長の形になっています。フロアはほとんど正方形で真ん中に共用の階段があるのですが、フロアの中間で踊り場をとる余裕すらないので、フロアからフロアへ鉄砲階段でつないでいます。通常の折り返し階段の踊り場をそれぞれにフロアにしている、と言い換えることができますが、そうすると各階で階段裏のスペースができるので、そのスペースを利用してこまごましたものを納めることにしました。それと共に各階において階段の平面的な位置がずれるのですが、ものすごく狭いものですから住戸の中のプランも劇的にかわってしまう。そのことを利用して、各住戸のプランの方位や配置を変えることをしています。このような少しずつ違った平面の中身がアルミサッシとガラスでくるまれている、そのような集合の状態をつくっています。多くの住宅は不透明な壁に開口部が開いているというものですが、その開口部がお風呂だったら小さくて、リビングだったら大きいというように、外側から機能が透けて見える。不透明なのだけれど中のものが外ににじみ出しているという意味では透明度が高いように思います。このプロジェクトでは、外に透明なガラスを全周に利用しているけれど、中に見えてくるものは各階で違うので、上下階のフロアがもしかしたらつながって使われていると見えるかもしれない。つまり、集合住宅なのかひとつの住宅なのかは判然としない姿となっている。そのような中身が何だかわからないものを目指したいと思いました。とにかく小さな建物なのですが、さらに高層ビル的プロポーションでもある、そのずれもまた、集合住宅なのかどうかよくわからない感じでよいと思っています。

広尾の集合住宅 広尾の集合住宅
乾久美子《広尾の集合住宅》(2006竣工予定)

山本──次に私の画像を紹介していきます。これは私の自邸なのですが、乾さんの作品と内外が正反対ですがプランは似ていると思って持ってきました[fig]。1階が事務所で、2階が親世帯、3階が私の世帯で、それぞれ用途が違っています。真ん中に吹き抜けがあり、それを取り囲むように居住スペースがあり、まわりに収納やバックヤードがあります。これを設計するときに、大きな空間は住宅にはいらないと考え、居住スペースは線状にしました。ただ外観に関して言えば、乾さんのものとは逆に従属スペースが外側に来ているので無表情な印象のものになっています。(2に続く)

山本邸 山本邸
山本邸
山本邸
山本想太郎《山本邸》(2004年竣工)


ビルディング・タイプの問題点
山本──乾さんは商業建築のファサードから建築家としてのキャリアを始められていますが、住宅を作られてファサードに対する考え方がどのように変わったのか、ということから話していただけないでしょうか。

ルイ・ヴィトン高知
乾久美子《ルイ・ヴィトン高知》(2003)

乾──どのように変わったかについてはまだ整理できていないので、この5、6年間の経緯を話したいと思います。青木淳さんの事務所から独立して2000年に事務所をスタートさせ、まず最初に商業建築のファサードをやりました。しかし、青木事務所時代は商業建築を担当していたわけではないので、まったく初めてだったわけです。ただし、私がいた頃に青木さんは《ルイ・ヴィトン名古屋》をすでに完成させておられて、その行程を横目で見ていましたから、仕事の内容がまったくわからないわけではない。ただ、表層をやることに対して積極的な意味をなかなか見出せず、お施主さんに対しては建築的な提案をしていた時期もあります。最初の《ルイ・ヴィトン高知》はファサードだけではなく本体構造も含めての依頼だったので、建築的、つまり構成が重要なアイディアを含んだ提案をしていて、それがまったく受けないという時期が2、3カ月くらい続いて、たいへん苦しい思いをしました。そうした時期を経て、表面のファサードだけで認めてもらうことに切り替えた。その時期はお施主さんに認めてもらうにはどうすればよいか、ということだけを考えていたように思います。かなりやみくもにやっていて、それが建築的に何であるかなど考える余裕もなかった。最終的に出来上がってみてファサードというのは建築的な技術や知識がとても必要であることに気づき、建築的な領域と自分が決めていた範囲がすこし広がったように思いました。

山本──商業建築と住宅で大きく異なる点のひとつは既成品を使わざるをえないことでしょう。住宅は建設コストが小さい、工期も短い、それにもかかわらず要求性能は高いものなので、どうしても既成品を使うしかないわけです。既成品でファサードを作ることを前提とした場合、ガルバリウム鋼板やサイディングパネルなど、建材の選択肢はとても少ない。ものを作るシステムが非常に狭いわけです。そこでやるにはかなりの経験値と創意工夫がなくてはだめで、それがないとほかとの差違をつくることができません。そこで乾さんは、既成サッシを使いつつも違うビルディング・タイプのファサードの表現手法を用いることを考えられたのではないでしょうか。
またそれにしても、住宅のファサードに全面ガラス窓を選択するのには決断が必要だったと思いますが、いかがでしょうか。

乾──山本さんが言われるように、住宅は素材の選択肢が非常に少ないと私も思います。この集合住宅を始めたときは、嬉しいのだけれど反面素材が少ない世界に踏み込んだなと恐れたのは事実です。また建築であるかぎりビルディング・タイプの問題は必ずあって、特に住宅の場合、どうした姿で現われればよいのかがまったくわからない。これもまた怖いことです。どんなものになっても住宅や集合住宅というのは社会的には許されるのでしょうが、だからといって突飛なものだと逆に住宅らしく見えてしまうような、住宅の文化的な成熟の背景もあるわけで、ますますどうしてよいのかわからない。この集合住宅では、ある意味で屈折した方法かもしれませんが、違うビルディング・タイプに見えるようなものにすることを考えているように思います。

山本──ファサードのデザインによってどのようなビルディング・タイプかすぐにわかってしまうというのは、いわゆる「......らしさ」によるものです。この「......らしさ」の持っている最大の問題は、人がそれに慣らされてしまうということで、その典型が例えばア−バニズムのようなものでしょう。ア−バニズムは、何かしらの都市に関する考え方に基づいて法律などのシステムを定めています。そのシステムに従った都市景観のみが生産されていくと、人はそれ以外の都市景観との比較のなかでそのシステムの評価をすることができなくなってしまいます。表現者であることに自覚的な建築家は、そのシステム自体になんとかアクセスしたいと考えるものでしょう。しかし注意しなければいけないのは、その表現が完全にシステムから逸脱してしまうと、それは単なるアプリケーションとしてまたもやシステムへの批評力を失ってしまうということです。
その視点で見ると乾さんの作品には、つねに建築っぽいテイストを残しているというところにこだわりを感じるのですが。

乾──そのことは意識していると思います。ファサードだけ、内装だけなどという場合でも、なにかしら一貫したアイディア、つまりそれが建築的なのかもしれませんが、そのようなものを探しているように思います。

山本──どうしてクライアントは商業系建築のファサードのお仕事を乾さんにお願いされたのでしょうか。

乾──構造エンジニアリングとデザインをマッチさせていくことが外装デザインでは重要だと思いますが、それをやるには構造センスがないとだめで、インテリア系のデザイナーの方だとやはり難しい。だから建築家が求められているのだと思いますが、たまたま私が青木淳さんの事務所を卒業してひまそうだったから、お願いされたのかと思います。

エンジニアリングとファサード
山本──エンジニアリングがないとよいファサードではないと言われましたが、その差違は何なのでしょうか。エンジニアリングがあるかないかを受け手は評価しているのでしょうか。

乾──エンジニアリングをきちんと考えないファサードのほうがグラフィックになると思う方も多いかもしれませんが、それは全く反対で、エンジニアリングを考えないファサードは逆に建設っぽくなると思っています。それに対してエンジニアリングを感じさせないまでにエンジニアリングをうまく使うことができれば、建設のにおいを感じさせないようなきれいなものができます。

山本──そのエンジニアリングというものは、建築家個人ももちろんそうですが、建築業界というものが築き上げてきたものでもありますね。商業系のデザイナーは、建築業界がシステムとしてもっているエンジニアリングのバックアップがないわけです。表層主義的な建築はほかのジャンルのデザイナーでもできると思われがちですが、その裏には強固なエンジニアリングのバックアップ体制があって、それが建築家の最大の強みなのでしょう。

乾──それは本当にそうです。エンジニアリングでできることの差をお施主さんがきちんと理解するとは思いませんが、しかしながら、やはり建築家に頼むときれいなものができるということはなんとなく感じていただいているのかもしれません。

山本──住宅に話を戻すと、それでは施主にとって、住宅がファサードをもつことの意味は何でしょうか。住宅のファサードデザインの必然性をどのように考えられますか。

乾──今やっている集合住宅はディヴェロッパーが開発するいわゆるデザイナーズマンションで、建物と土地をセットにして投資物件として売り出されるので、商業施設に片足突っ込んでいるようなものではあります。つまり、いわゆる見てくれのよさは通常の住宅よりは要求されています。純粋な住宅に対するファサードの必然性については、正直なところ私はうまく答えることができません。

山本──差違という以外にガラスを選択された理由があるのでしょうか。

乾──20平米というのはとにかく狭い。20平米という空間が不透明な壁に取り囲まれると、耐えられないのではないかと思い、視線を外に向けることで視覚的な広さを確保しようとしています。つまり内部の要求からスタートしたガラスだったのです。と同時に、周辺の建物と同じようなヴォリュームが、小さな敷地につめこまれている感じも窮屈さを感じさせる要素だと思ったので、天空率を使ってスリムで高いものとなるようにしました。そのプロポーションが他に比べてすこし違うことと、ガラスがそれに全周立て込まれていることが両方合わさると突然に納得した。納得した理由は、先ほど申し上げたように、何かわからないもの、ビルディングタイプがわからないもの、になったからだと思います。

これからの建築家と都市の表層・景観
山本──天空率という用語を一応会場にご説明しておくと、通常の建築基準法の形態制限に対する緩和規定で、建物を敷地の外から見たとき、基準法どおりに建てた建物と同等以上に空が見えていれば、どのような形態の建物を建ててもよいというものです。こういう新しい制度にはまだまだ不完全な部分もあるのですが、それも含めて、こういう、制度の辺境にアクセスすることの意味はとても大きい。天空率を使うと今の街並みに慣れている目には不思議なものを建てることができます。そのときはじめて、先ほど述べたようなシステムに対する意識が喚起されるわけです。制度に縛られて設計をしなければならない建築家が、その制度をつくっているア−バニズムを変えようとするならば、つねにこのような制度の辺境を意識すべきでしょう。
そこで乾さんに伺いますが、都市の表層、都市景観が今後どうなっていくとよいと思われますか。

乾──日本では全員がバラバラですし、今後もバラバラなまま都市景観はつくられていくと思います。それは悪いことではないと思います。

山本──近代への転換期に、建築や都市の姿は一気に変わりました。建築家たちの頭の中はまだその時代の建築家像にちょっと引きずられていて、建築表現でもすごい変化を考えようとしているのだと思います。しかしそのようなことは社会の大きな変化と連動しないとまずおこらないもので、そうすると現在、特に建築家の手によって、都市全体ががらっと変わるような可能性はあまりないとも思われます。そこにおいて建築家がなすべきことはどのようなものだとお考えになりますか。

乾──全体が変わるチャンスというのはないでしょうし、変える必要もないと思います。そうした状況の中で建築家ができることとは、いろいろなオプションを増やしていくことだと思います。法律のはじっこをつくこともその契機のひとつになるでしょうし、もちろん他の要素にだって、はじっこ的なものはまだまだある。

山本──それでは最後に、住宅のファサードはこれからどうなっていくと考えられますか。

乾──ますます中身がわからなくなるのではないかと思います。住宅を支える家族の仕組みが崩れているので、住宅らしさを求めることがこれからもさらになくなっていくと思います。中身がなんだかわからないというものが建築家によるものだけでなく、つくられていくのではないでしょうか。

山本──住宅の中身がわからなくなるということは、つまり他のビルディング・タイプの中身もわからなくなるということですね。社会現象としてみると、ものを買ったり働いたりという行為が急速に都市からネットの世界にシフトしてきているという現状があります。そのとき、そのネットの端末である住宅は、個人のアイデンティティにおいてより重要な建物になってきて、結果として、その形も変化していくのかもしれません。

[乾久美子]
1969年生。建築家。乾久美子建築設計事務所主宰。作品=《Louis Vitton Osaka Hilton》《Dior Ginza》《Meleze御殿場》《Jurgen Lehl丸の内》など。

[山本想太郎]
1966年生。建築家。山本想太郎設計アトリエ主宰。作品=《水戸N邸》《国分寺の家》《板橋の住戸改修》《汐留プラザビル》など。訳書=ケネス・フランプトン『テクトニック・カルチャー』(共訳)

[2006年2月25日、ジュンク堂池袋本店にて]

200604


このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る