世界建築レポート[5] フランダース・デザインを考える

小池純二

ベルギー──複雑な立地と多様な言語
フランス、ドイツ、オランダ、ドーバー海峡を挟んでイギリスという大国に囲まれるように位置する小国ベルギー[図1]。アントワープ、ゲント、ブルージュなどがある北部フランダース地方ではオランダ語、モンス、リエージュの南部ワロン地方ではフランス語、首都であるブリュッセル特別区では2カ国語が公用語として使われる多言語国家である。少しややこしいのだが、ブリュッセルは言語的にはフランス語優位であるが、地理的には北部のフランダース地方に所属する都市である。
このブリュッセル、アントワープ、ゲントという、地理的にフランダース地方に分類される三つの都市によって結ばれるトライアングルのなかに、ベルギー人口の約半数となる430万人強の住民が住み、フランダース地方全体における58%の企業が集中して立地している★1。この1100人/平方キロメートルというヨーロッパ屈指の人口密度をもつ「フランダース・トライアングル」域の建築事情を読みすすめることで、この国の現在の姿をリアルに捉えていこうと思う★2

Vitrahaus
1──フランダース地域周辺地図

ブリュッセルの建築事情
19世紀末に建てられたアール・ヌーヴォー建築が600棟ほどもほぼ完全なかたちで現存し、世界遺産グラン・プラスを中心とした、多くの歴史的な史跡・建築物を持つブリュッセルでは、その都市景観を保つために、特別な配慮が払われている★3。そのために都市中心部で行なわれるプロジェクトの多くは、外観を保存しながらも、現代のコンテクストに見合った内部空間という、高度なプログラムが要求されている。
アントワープの若手建築家グループB-ARCHITECTENによる《Beursschouwburg》[図2、3]、B.O.A.による《KVSプロジェクト》[図4]などは、そのよい事例となるだろう。18世紀の典型的なフランダース様式の2つの建物の改修は、ともに丁寧なリサーチに基づいた設計によって、どちらも建物のアイデンティティを保ったまま、一方では小規模な舞台をメインにした、他方では本格的な演劇舞台を核とした現代的な複合文化施設としてブリュッセルの新しい文化的財産となっている。
また近代建築と現代建築の融合したプロジェクトとしては、今年になって工事が終わった、ブリュッセルの若手建築家グループケルステン・ギール・ダヴィッド・ファン・セヴェレンによる複合文化施設《WILES》[図5]にも注目したい。モダニズム建築家アドリアン・ブロムによって1930年に設計された6つのタンクをもつビール醸造工場を、現代美術のファクトリーというコンテクストに置き換えることに成功した秀逸な作品である。
また、1958年に、ベルギー国際博覧会とともに国家プロジェクトとして建設されたものの、政府の財政難のために2003年にオランダの不動産投資会社BREEVASTに売却された政府機関のオフィスビル《La Cite administrative》の再開発プロジェクト[図6]や、北駅に程近い《Place Rogier》の開発プロジェクトなど、注目したい都市計画が進行中である。前者は、フランス人建築家イヴ・リヨンをマスターアーキテクトに現在建設が進められ、後者はベルギー人建築家クサヴィエ・ドゥ・ゲイターによって近く建設が始まる予定である。

Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower Roche Basel
Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower
2──《Beursschouwburg》外観
3──同、中央ホール
4──《KVS》外観
5──《WIELS》建物内観
6──《CITE ADMINISTRATIVE》敷地現況

アントワープの建築事情
ブリュセルの北40kmに位置するベルギー第2の都市アントワープで、注目したい地域開発としては、スヘルデ川北西、2001年にベルギー国営鉄道(SNCB)がその所有を売却した延べ24haにおよぶ巨大な線路跡地に計画される都市公園プロジェクト「Spoor Noord」[図7]である。この国家プロジェクトはコンペティションによって選ばれたイタリア人建築家ベルナルド・セキをマスター・アーキテクトに置いて2009年の竣工に向けて建設工事中である。
また2億5千万ユーロという高額な予算によって昨年竣工されたものの、その直後にアントワープ市によって売却されるというスキャンダルを巻き起こしたリチャード・ロジャースによる《アントワープ州立裁判所》[図8]は、スヘルデ川の南西、現在最も再開発が推進されているこの地域のランドマークとなっている。
一方、小規模なプロジェクトに目を移してみると、近年に竣工が終わり、モードを中心とした複合文化施設の入るマリー・ジョゼ・ファン・ヘー設計による《MODENATIE》[図9]では、6層吹抜けの中央ホールは建物全体を特徴づけている。ちなみに現在、建物の一階レヴェルには、日本人デザイナー山本耀司氏の直営店が入っている。
中央駅に程近いところには、DMT-ARCHITECTSによる《アントワープ大学キャンパス増築プロジェクト》[図10]がある。本来はプライヴェートな性格の強い街区の中庭を中心に、大学のオーディトリアムというパブリックスペースを巧みに組込んでいる。

Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower Roche Basel
Vitrahaus
7── 「Spoor noord」敷地現況
8──《アントワープ州立裁判所》外観
9──《MODENATIE》建物内観
10──《アントワープ大学》オーディトリアム内観

ゲントの建築事情
ブリュッセルから北西方向に40kmほど進むと東フランダース州の州都ゲントがある。19世紀末のアール・ヌーヴォー様式の世界的なムーブメントを牽引し続けたベルギー人建築家ヴィクトール・オルタを生み出した歴史都市は、同時にゲント大学を中心とした多くの大学機関によって構成される人口23万人の学園都市でもある。現在のゲントでは、他の都市と違い、国家レヴェルでの巨大プロジェクトよりも中規模もしくは小規模なプロジェクトが活発である。
まずは、ゲント中心地から北西方向に位置するベルギー人建築家ステファン・ヴェールによって設計された《ゲント州立裁判所》[図11]から見ていこう。2006年竣工のこのプロジェクトにおいては、建物自体はとてもシンプルな空間構成を持つが、2つの大きな中庭と、ガラス張りのファサードによって取り込まれる光によって、明るい内部空間をつくりだしている。
次に、2006年に竣工した《ゲント大学キャンパス増築プロジェクト》[図12、13]も注目すべきプロジェクトである。ステファン・ヴェールとクサヴィエ・ドゥ・ゲイターの共同設計によるこの建物には、ゲント大学の経営学部によって使われるオーディトリアムと事務施設が入っており、本キャンパスとは地下連絡通路により繋がっている。コンクリートによって作られたブリュータルな空間構成と歴史的なレンガ造りの町並みは、興味深いコントラストを生み出している。
一方、小規模なプロジェクトに目を移してみると、2005年に竣工されたNU ARCHITECTUURATELIERによるプロジェクト《linq》[図14、15]に注目したい。ゲント南西の郊外に位置するオフィス兼個人住宅のこのプロジェクトでは、均一な自然光を取り込むために取り付けられた北向きの開口部が建物を特徴づけている。同じ彼らの設計による家具と建築を一体的にデザインした《mathilde》[図16]も興味深いプロジェクトである。

Vitrahaus Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower
11──《ゲント裁判所》外観
12──《ゲント大学キャンパス》外観
13── 同、内観

Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower Vitrahaus
14──《linq》外観
15──同、開口部ディティール
16──《mathilde》内観
14-16©NU ARCHITECTUURATELEIR

地域と建築家の繋がり
1990年代から現在に至るまで「フランダース・トライアングル」域では世代交代による建築物の改築・増築ラッシュが続いている。特に予算や規模の小さいプロジェクトにおいては、多くの建築家は、金銭的な余裕はないが、洗練された空間を望む若いクライアントの注文に応えなければならない。
建設コストを抑えるために★4、彼らが力を入れているのが、材料・工法に関するリサーチであり、このリサーチがもたらす低コストでしかも新しい素材の選択は、彼らの設計活動に多くの特色を与えている。身近なところでは材料・工法からはじまり、大きくは住宅の社会的コンテクストに至るまで、リサーチした結果を設計活動に取り入れようとする姿勢は、この地域の建築家のひとつの特徴であるかもしれない。
彼らの行なう多くのリサーチは、大小さまざまなレクチャーや展示会で一般に公開されている。
リサーチを主体とした国際的な建築イヴェントである、第3回ロッテルダム国際建築ビエンナーレにおいてもフランダース建築家ケルステン・ギール・ダヴィッド・ファン・セヴェレンは《Hidden Cities》[図17]という建築空間と国の境界線に関する興味深い研究・提案を発表している。このように建築家が展示やイヴェントを通じて一般社会に密接に繋がっていることは「フランダース・トライアングル」域の社会的な特徴である。その両者の接点を積極的に企画・運営しているのが、フランダース政府の直轄機関として2001年に設立されたVAi(Vlaams Architectuurinstituut)である★5
このVAiが行なっているいくつかの興味深い活動をここで紹介したい。例えば、美術館内のパブリックスペースに設置した35立方メートルのスペースを期間限定で地域の若手建築家に貸し、彼らの過去の設計活動や未来のビジョンを自由にプレゼンテーションしてもらうフリースペース企画「35m3」展[図18]や、現代建築物を定期的に一般に公開するイヴェント「Dag architectuur」、6歳から18歳までの青少年を対象に建築に関わるテーマを定期的にレクチャーしていく教育プログラム「VAi JONG」など。
一般市民(しかも青年期から)が、自然と地域の町並みや建築物に対して興味を持つようになる、これらのプログラムは、人口・面積ともにスケールの小さいベルギーならではの実験的でユニークな試みであろう。また地域の建築家が、VAiの企画によってさまざまな仕事の機会を得ているという実務的なアドヴァンテージも見逃せないだろう。

Messezentrum Basel 2012 St. Jakob Tower
17──ロッテルダム・ビエンナーレ、「Hidden cities」展示風景
©OFFICE Kersten Geers David Van Severen
18──Desingel内に設置された「35m3」のボックス
©Hannes Van Severen

ベルギー人建築家を特徴づけるもの
以上、「フランダース・トライアングル」域の3つの主要都市であるブリュッセル、アントワープ、ゲントを中心に、この国の現在の建築事情を伝えてきた。
一番最初に記したように、フランス、ドイツ、オランダ、イギリスといった、ヨーロッパ屈指の強国たる隣人達にとって、ベルギーという小国はとても「魅力的」な市場といえる。実際に現在のベルギーの都市部に集中している国家レヴェルでの都市計画の多くは、国際コンペティションによって選ばれた近隣国の著名な建築家(リチャード・ロジャース、イヴ・リヨン、ベルナルド・セキなど)がマスターアーキテクトとして活躍しており、ベルギー人建築家特有のプロジェクトはあまり見ることはできない。
しかし、民間・個人レヴェルでのプロジェクトに目を移してみると、限られた土地や予算といった社会的コンテクストゆえに、多くのベルギー人建築家の固有性を見いだすことができる。
もの造りに対する強いこだわり、リサーチにもとづいた丁寧かつ斬新なデザインといった姿勢は、ゲントを拠点に1990年代後半から近年にいたるまで世界的な活躍をしたマールテン・ファン・セヴェレン★6の例を引用するまでもなく、建築家・デザイナーを問わず、この地域の若い世代にも確実に受け継がれている[図19]。設計に対するこのような姿勢は、そのまま彼らの建築的な特徴を言い表わしているように思える。
「Craftmanship」「Non-standard」「Design-based Research」と。

Vitrahaus
19──ハンス・ファン・セヴェレンによる家具プロジェクト。綿密なリサーチをしたうえで行なわれる制作プロセスという点では、彼もこの地域の建築家と同じ姿勢を持っていると言ってよい
特記以外はすべて筆者撮影

★1──『Ruimtelijk Structuurplan Vlaanderen』1997年度フランダース政府資料
★2──ロンドン=1170人/平方キロメートル、パリ=880人/平方キロメートルであり、1100人/平方キロメートルの、この「フランダース・トライアングル」域がいかに人口密集地域であるかを想像できる(参考=前掲書)。
★3──もし仮に、その既存建物がブリュッセル特別区によって歴史的建造物として認定されていれば、市役所への建築確認申請に加えて、政府機関である歴史的建造物の専門委員会への申請もしなければならず、その審査も通常の申請の倍の時間がかかる。
★4──フランダース地域における延べ床面積150m平方メートル以下の一般的な既存建物の改築・増築プロジェクトの総工費の多くは15万ユーロから20万ユーロの間に集中している。
★5──国内の現代建築物の図面の一元化、政府や学校・研究機関により行なわれるフランドル地域に関するリサーチやレポートの収集とアーカイブ化、フランダース建築・建築家に関わる広報・出版業務などがその重要なタスクである。
★6──1956-2005年。アントワープ出身の世界的なインテリア・デザイナー。「ミニマル」という、従来は音楽や絵画で使われていた概念を家具や建築の領域に広げたことで知られる。

[こいけ じゅんじ・ベルギー政府公認建築家]
1976年生まれ。2004年 La Cambre Architecture Institute卒業後、
Maarten Van Severen,Bernard Bainesのアトリエを経て現在はNU ARCHITECTUURATELIERにて勤務。
koikejunji@mac.com


200711


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