アートの現場から[3]
Dialogue:美術館建築研究[5]


 田中功起
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 青木淳


左:田中功起氏、右:青木淳氏
左:田中功起氏、右:青木淳氏
青木淳──「美術館建築研究」は、これまでにインタヴューを、作家の方2人、美術の企画側の方2人、合計4回行ないました。その後、長らくお休みしていましたが、今回の田中功起さんで再開して、最終的には、作家の方6人、美術の企画側の方6人、合計12回のシリーズになればと考えています。
このシリーズを始めたきっかけは2つあって、ひとつは《青森県立美術館》の設計に平行して、前の『住宅論──12のダイアローグ』(INAX出版、2000)の続編として「美術館」を扱ったインタヴュー・シリーズをやってみようと思ったこと、もうひとつは『住宅論』のときに、諏訪敦彦さん、川俣正さん、津村耕佑さんのように、住宅を設計する建築家だけではなく、それぞれの分野で活動を行なっている方に、それぞれの視点から住宅について、あるいはより一般的に、人が住むことについて、もしくは「つくること」といったことについて語っていただいたのですが、それがとてもおもしろかったので、ハードとしての美術館を設計している建築家ではなく、美術作家の立場で、あるいは美術展の企画側にいらっしゃる方に、美術館あるいは美術と空間というところまでテーマを拡げてお聞きしたいと思ったからでした。田中さんにも、ご自身がつくる作品と空間あるいは場所との関係で、お聞きかせ願えればと思っています。
田中功起──青木さんからこのお話をいただいたとき、ちょうどぼくもそうしたことが気になっていました。映像インスタレーションの場合は、映像を撮影した場所とそれを展示する場所がかならずしもおなじにはなりません。そのときそこではなにが起きているのか、それをどう扱っていくかということにここ最近興味があります。

●ニューヨークでの生活/なすがまま、あるがまま 青木──田中さんは、去年ニューヨークに行かれていましたね。いつごろでした?
田中──2004年の2月から8月終わりまでです。森美術館でのグループショウ「六本木クロッシング」がオープンしてすぐに出発しました。
青木──海外で生活をして、そのなかで制作することによって、それまでの作品と変わったことはありましたか?
田中──まず生活面で俗なところからいえば、自分の制作と無関係な仕事をしなくてよく、また制作費も含めて生活費が自動的にはいってくる。なにもしなくてもお金があり、それに加えてたくさんの自由に使える時間ができたわけです。
青木──日本ではそうはいきませんか?
《鳩にキャビア》
《鳩にキャビア》
2004, DVD, 1min35sec

《ワン・ベッド・ルーム》
《ワン・ベッド・ルーム》
2004, DVD, 30sec

《滝を使ってサラダを作る》
《滝を使ってサラダを作る》
2004, DVD, 2min26sec

《Plastic bags into the sky》
《Plastic Bags into the Sky》
2004, DVD, 2min33sec

田中──ぼくは作品がばかばか売れるわけでもなく、キャリアとしても駆け出しなので、展覧会に作品を出品しながらも、同時にアルバイトで生活費を稼ぐという状態が続いていました。また展覧会ごとに新しいアイディアを出してつくっていくので、ニューヨークに行くまでは制作から発表までのペースがとてもタイトで、もうへとへとでこれではやっていけないと感じていました。ニューヨークでの半年間はいわばモラトリアム状態で、これをしなければならないという条件がまずなかった。最初に決めたのは、ひとまず「作品をつくる」ということを忘れよう、まったく新たな土地で自分はなにをするのかということを見極めようということ。つまり、もうアートはいいやと思えば止めてしまってもいいし、あるいはあらためて批評家をめざすとか、映画を撮るとか、とにかく自分のことをオープンな状態にしておこうと、そうした状態に自分をおいたときにいったいなにからはじめるのだろうかと、そうしてしばらくだらだらと過ごしていました。もちろんなにもしないということは非常につまらないことです。そこではじめたのは夜の街のなかで風に揺れるものをとりあえず撮影してみるということでした。雪が残るニューヨークの街なかを歩きながらゴミ袋とかなぜかたれているひもとか、そういうものをすこしずつ撮影していきました。それまでは、はじめに作品のイメージやアイディアがあってそれをもとに制作するという流れで作品ができていたことが多かったのですが、ニューヨークでは、逆に、最終的な仕上がりを意識せずとにかく撮影するなら撮影して、例えばメジャーを引き出して自動的に戻るところを撮ったり、いろいろと試すことからはじめてみました。そのように方法を逆転させることでそれまで自分が押さえ込んでいた映像の問題、カットのつなぎのことであるとかカメラを動かすことであるとか色彩や構図やそういうもろもろのこと、あるいはいままでだったら作品のテーマとして選ばなかったことや選べなかったこと、それらをごく自然に作品のなかに取りこむことができました。言ってみれば街をぶらぶらしながら気になったものやことをメモするように撮影していったのです。
青木──たしかに、ニューヨークでの作品には、その町の自然な感じが出ていますね。歩道にキャビアをおいて鳩が食べるまでの映像《鳩にキャビア》や、寝室を撮っていてしばらくするとトイレットぺーパーが落ちてくる映像《ワン・ベッド・ルーム》とか。滝の落下する水でサラダボールを回転させ野菜を混ぜる作品《滝を使ってサラダを作る》はともかく、特に、ビニールの買い物袋が風船みたいに飛んでいく作品《Plastic bags into the sky》は、ニューヨークを感じさせます。
田中──例えば《Plastic bags into the sky》では最後にヘリウムが抜けてその買い物袋が落ちてくるのですが、その公園にたまたま居合わせた街の人が、──ゴミと間違えたのかどうかわかりませんが──それをジャンプしてキャッチするシーンを使ってます。鳩がキャビアを食べるのかどうかもそうですが、本当になすがままですね。映像にはなにか偶然の成りゆきみたいなものが映り込む可能性がある。そして、そこで起きていることを起きているままに見せたいということもあります。映像はすごく即物的だから見ている人はそこで起きていることを起きていることとして受けとりやすいですよね。考える間もなく映像は先に行ってしまうから。ぼくは、いままでの作品ではひとつのシーンを操作して映像が延々とループするというものをつくっていたのですが、逆にいまは、なすがまま、あるがままといったものに可能性を感じています。
青木──そう、形式として、ループではなくなった。

●群馬県立近代美術館での展覧会/ただ並べる 青木──それから、ニューヨークから帰ってきて、群馬県立近代美術館で個展をなさいましたね。はじめての大きな個展だったと思います。
田中──そうですね。個展という意味でもすごく久しぶりでした。
青木──群馬県立近代美術館が持っているイスとか展示台とかガラスケースといった、倉庫で眠っていたものを引っぱり出してきて会場を構成するものでした。
田中──構成というか、ほとんどおきっぱなしでしたが。
買物袋、ビール、鳩にキャビアほか
買物袋、ビール、鳩にキャビアほか
買物袋、ビール、鳩にキャビアほか
買物袋、ビール、鳩にキャビアほか
群馬県立近代美術館 特別展示
田中功起「買物袋、ビール、鳩にキャビアほか」
会場風景
青木──備品を並べて、一種の街の空間のようなものができあがっていました。街を彷徨いながら、シーンに出会う。作品はニューヨークでつくられた映像でしたし、なんとなくニューヨークの街を思い出させました。私はそれまで田中さんはモニターのなかの映像が作品というイメージを持っていましたが、田中さんは映像の内容と共鳴するインスタレーションを、スッと実現してしまいました。
田中──展覧会の話自体はニューヨークに行く前からいただいていたので、事前に何度か美術館へ行って会場を下見していました。そのとき、倉庫や収蔵庫や屋上、天井の大きな照明のなかなどのいわゆる美術館の裏側をあちこち見せていただいたのですが、最初に見たそういった場所の印象がすごく強く、それが気になったままニューヨークへ行きました。先ほどの話のようにニューヨークでは、街を徘徊しながら気になったことや思いついたことを日々撮影したりしていました。マンハッタンはそれほど広くないですが、そのぶんビルがぎゅっと密度をもって乱立していますよね。その状況をもとに、展示台などを使ってビルが無数に乱立するという都市のイメージを美術館のなかにつくり、その路地を歩きながらさまざまな出来事に──この場合はヴィデオ作品やインストラクションに──出会うというインスタレーションを考えたわけです。什器の量が半端じゃないので展示を見る人はヴィデオが主なのか空間が主なのかよくわからない。会場全体が見渡せるわけでもないので自分がどこにいるのかもどのくらいの広さにいるのかも最初はわかならい。見知らぬ土地に行くと最初右も左もわからないのが、しばらくいるうちにだんだんとわかってくるってことがありますよね。このインスタレーションはそのようにもできています。しばらく迷うのですが、慣れてくるとすごく簡単な構造になっている。街は迷宮じゃないのですこしいると把握できるようになる。
それから、もしこのおなじことをいちから全部つくりあげるとしたらちょっとぼくには手に負えない。倉庫で眠っていた展示台やガラスケースといった、すでになにかのためにつくられて捨て置かれたちょうどよい積み木みたいなものもたくさんあったし、その捨て置かれている置かれ方もどこか路地裏のような印象を持ちました。これらを組み合わせたらなにかできるだろうと。
もう一点、ぼくは、図面を見ても実際の空間を想像できないので、すでにあるものを現場で組み合わせる方がやりやすいと思ったことも理由です。一般的には、会場図面をもとに展覧会のプランを考えていきます。そこに細かい数値を書き入れて完成した状態のわかるプランを提示する人もいますが、ぼくは現場で作業をしたい質なのでわざとあいまいな部分も残しておきます。ときにはぼくも模型をおこすことがありますが、例えば群馬のときもニューヨークにいるときに会場模型をつくりました。倉庫のなかのものを使うというアイディアはあったので、でもどのようなものが倉庫にあったのか、それ一つひとつのサイズであるとか、ちょっと調べようがない。日本に帰ってからでいいといったん考えるのをやめて、帰国後、ふたたび下見などをすることですこしずつ会場のイメージを固めていきました。いくつかの部分ごとに、あの展示台とこのガラスケースを使うとか、このパーテーションはこのように組み上げようとか、と考えたのですが基本的には準備期間にならないと、やってみないとわからないだろうとは思ってました。準備期間当日は、あたかもぼくのなかに明確なイメージがあるがごとく振る舞って、どんどん指示を出していきました。会場にありえないぐらいの什器が搬入されてきて、作業員や手伝いのヴォランティアの人たちが「こんなに搬入して作品が展示できるのだろうか」と少々困惑気味でしたが、イメージの明確だった部分を自分ですこしずつ決めていって、あとはそれをもとにひとまず配置してもらい、その後、気になるところを調整するというかたちで、一度組み上げたものをやり直したりしながら、一つひとつフィジカルに組み合わせを決めていきました。
青木──ある意味でブッツケ本番の設営というわけですが、これでいいとか駄目とかは、どんな判断だったのですか?
田中──積み上げられた現場をみると、それに対しては明確にいいかまずいかを言えるのですが、そこにはいいかまずいかしかないので、その理由は言葉にしにくいですね。手伝ってもらった人たちに、「まずはこの辺に適当に積んでくれ」と言うのですが、できたものを見ると全然適当ではないのです。なにか個性が出るというか……。
青木──癖が出ますね。
田中──そう、なにかもっと適当に積んでもらいたかったのですが、すこし作為的に見えるような置き方をしてしまう。
青木──適当というのは作為的ではないという意味でしょうけれど、作為的でないように作為するのは難しいですね。高さをそろえるとか、なにかをそろえようと思ったところはありますか。
田中──そろえようと思ったところはとくにありませんでした。
青木──ともかく、 お金のかかっていない展示ですね(笑)。
田中──たぶんものすごくお金があったうえでこのようなことをやろうとしても、うまくやれなかったと思います。自分でまったく最初から一つひとつのパーツをデザインし、それを構成していくとなるとなにを基準にそのパーツの大きさやかたち──色や材質もそうですが──を考えていいかがわからなくなり、ずっとそのことだけを考え続けて完成しないということになりかねないですね。
青木──そこが田中さんのおもしろいところですね。田中さんは、つくられたものに責任をもつという点で、ある意味で非常に古典的な美術作家であると思うのですが、そのつくり方は自分のなかにあるものの表出というわけではない。そこにすでにあるもの、そこにすでにある空間を使いながら、それらをうっちゃるようにつくる。つくりこむということではなく、ただ並べるだけで、つくってしまう。

★特別展示 田中功起「買物袋、ビール、鳩にキャビアほか」
会場=群馬県立近代美術館
会期=2004年11月13日〜12月19日
展示内容=10のヴィデオと10のインストラクション

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