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●ビルバオ・グッゲンハイム
——トーマス・クレンズの風呂敷
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青木——ところで、美術館というのは、いろいろな人が関わりながら運営されていく ものですから、どんな立場の人がどんな関わりをもつかで運営が変わってきます。日 本の公立美術館の場合は、館長がいて、役所側を代表する事務局長がいて、学芸員が いて、それ以外の人の関わりはあまりありませんね。その三者の関係で運営が決まっていく。そして、その結果を見ると、残念ながら、日本中の美術館がかなり似通った ことをしてしまう状況になっています。最初に美術館というものを成立させている構 造が決まってしまっていて、この三者の関係ではどうもその構造から逃れられない。本来は、館長が最も責任のある立場であるわけで、だから最も力があると思うのだけ ど、それはかなり微妙な立場であるようで、かならずしも、その力を行使できているわけではないようです。館長が強い決定権をもつことができれば、美術館の構造から変えることもできるように思うのですけれど。
磯崎——アメリカやヨーロッパの美術館の場合、まずそれをサポートする理事会があるわけですね。その主要メンバーが館長をバックアップして動いているというかたちです。何しろ館長は原則的にこの理事会が選ぶんだし、すべての活動報告はここにむ けていかなければならない。普通はトラスティがブレーキをかけることになるんだけ れども、最近アメリカなんかでは金がわりと余っているから動きやすくなっているようです。美術館の動きを見ていると、どうもこれまで議論してきたようなインスティテューションを覆すというほどのコンセプトがなくて、むしろアメリカの中でのある種の保守性みたいなものに美術館がまとめて戻ろうとしている。一時はフランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイムが成功したことで、旧来的な美術館のあり方や運営方法などが、すべてひっくり返ったんです。グッゲンハイムのトーマス・クレンズは大風呂敷を広げてガンガンやる館長(Director of Guggenheim MuseumsWorldwide)です。かつてはニューヨークの近代美術館の重要人物であり、かつ美術のことをよくわかっているはずの連中まで、あいつのやり方はむちゃくちゃだ、あれが成功したらもう美術館はたちゆかなくなるなんて言ってた。だから成功はさせまいというぐらいにブレーキをかけていた。もし、彼が失敗したら袋だたきっていう程度ではすまなかったでしょう。「鳥もちを身体につけて、それに鳥の羽をくっつける。そしてそれをじわりじわりと剥ぐ」という拷問があるんだそうですが、これが最高に痛いらしい。アメリカ特有の表現なのですが、たぶんあいつはその刑に遭うだろうとまで言われていたわけね。
青木——トーマス・クレンズは、どんな大風呂敷を広げたのですか?
磯崎——要するに美術館の機構改革をやったわけです。当時グッゲンハイムはお金がなくなって完全につぶれそうになっていた。そこで彼は、美術館のコレクションのいくつかを売ったんです。グッゲンハイムには多くの名品コレクションがあるけれど、実際はそのうちの5パーセントしか展示していない。時々入れ替えがあって展示するとしても、残りの95パーセントは倉庫に入りっぱなしである。シャガール、モンドリアンの作品といっても駄作は今まで展示したことはない。だから、それは売ればいいんだということで、何十億かで売っぱらったわけです。要するにバブルの時だから作家の名前で値が付いて、ものすごい金額で売れました。それまでは美術館はコレクションをストックして絶対に売らないというのが原則だった。これが絵の価値を保証するための唯一の根拠になっていたわけです。ところがコレクションを売っぱらうことで彼はそれを崩した。僕はそれが美術館関係者が怒った一番の理由だと思います。グッゲンハイムはこれで生き延びたんです。ついで、ビルバオ市にコレクションを貸すことにしました。その代わりに三十億ぐらいかな、前払いさせちゃったわけ。それで何とか館員の給料を払って——こういう綱渡りをして生き延びたと言われています。そして、美術館つくってボーンと逆転したんです。だからいまや、あのやり方しか美術館の生き延びる方法はない、グッゲンハイムを見習えとさえ言われていますトーマス・クレンズが出るまでは彼のようなやり方は叩かれ続けました。ニューヨークのエスタブリッシュメントたちの批判は大変なもので、石原慎太郎が文句言われる程度ではなく、本当にとことん言われる。メディアもどんどん書いている。それがいまやひっくり返った。
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青木——危機一発ですね(笑)。ビルバオが成功しなかったら、もう駄目だった。たしかに、ゲーリーのグッゲンハイムには、ぼくは今年(2000年)初めて行ったのですが、観光バスが何台も着いて、まるでディズニーランドにやってきたような感じがありました。建物は、たまたまゲーリーのスタイルがビルバオの急に岩肌になってしまう風景と妙にマッチしていて、それだけでもいい美術館だと関心しました。もちろん、その空間構成だけを取り出せば、ロビーのまわりに展示室が放射状に伸びるという、すごくオーソドックスな美術館の形式であるわけですが、なにかいままでの美術館とは違う質をもっている。磯崎さんは、ビルバオ・グッゲンハイムをどう見ていますか?
磯崎——ニューヨークのグッゲンハイムで「中国5000年展」の展示計画をやったことがあります。これは、4900年までは普通の名品展なんですが、それから後の100年— —実際は50年ぐらいかな——、中国が近代化した後というのはほとんど何もないんですね。最後は1980年で切ったため、最も新しいのは文革の時代のものです。文革の時代の絵をそんなに見ていたわけではなかったんですが、ダヴィッドの《ナポレオンの戴冠式》なんかよりいいんじゃないかと思われるような、すごい絵がたくさんあるんです。それで、SOHOで「中国5000年展」の残り100年をやるというのでブロードウェイに赤旗並べようって提案したら、これはさすがに断られてしまったけれども、再度ビルバオで提案したらOKがでた。市の道路から三列、五メートルぐらいの高さのパレードの赤旗をバーッと並べて、ゲーリーの建築を横切って川の中まで入っていくというインスタレーションにした。どうやって立てるかとか、ディテールはと言うので、美術館の床を掘るわけにはいかないから、傷つけないように鉛の重石で旗を立てましょうと提案して、本当にやってしまった(笑)。そののちにその展覧会も含めたインタビューを受け——僕はすっかり忘れていたんだけれど——ゲーリーから「アメリカン・コロニアリズムの象徴のようなプア・ディテールのこの建物が、ここでこれだけ評判になって……」ってしゃべっただろうと手紙がきた(笑)。こっちは全然おぼえてないわけですが、「いや、そうじゃないんだ、この建築は要するにカードボード・アーキテクチャーだ。それはアメリカには1950年代のミースなんかがやったようないい建物ができる条件がなくなった。したがって建築にはもうコンセプトしかない——建築にはマテリアリティはないんだということを表現したコンセプトだ——そう言いたかったんだ」と言いわけせざるをえない。
つまり、1960年代のベトナム戦争、70年代のオイル・ショックの世界全面不況のなかで、アメリカで建築物をきっちり制作する社会的基盤が失われてきた。カードボード・アーキテクチャーの場合は、建築とは空間のスケールモデルであって、素材感や収まりなんか言う必要はない。プアな素材をプアに収めても、コンセプトがみえればいいじゃないか。要するにミースの対極みたいなものができた。これがアメリカの建築なんだと僕はほめたんだよって。20世紀の最後は精密にクラフトされた完璧な素材の完璧な建築物っていうのは、もう誰も見向きもしなくなる。一番ボロな安物のディテール、だけどそれがなにがしかの魅力が出てくる。これしか残らない。それがビルバオで見えて、ゲーリーは「あれは魚の鱗だ」と言ってるけど、自分では決していいとは思っていなかった(笑)。彼はいま、コストがオーバーしてできなかったディズニー・ホールを改めて設計し直してつくっているけれども、今度は日本の製鉄会社の、ステンレスのピタッとした完璧なディテールを研究しています。要するにプアなディテールからリッチなディテールに変えようとしているわけ。僕はビルバオを建築の途中で見てオープニングには行けなかった。勿論それから何度か足を運んでいますが、あのいちばんでかい展示室では、リチャード・セラの何十トンかの作品が置いてあって動かない。たぶん動かしたら建物が壊れるだろうというようなことになっている。セラは「ビルバオは10年しかもたないが、俺のはもっともつ」って言ってるわけ
です(笑)。
青木——展示されているもののほうがずっとちゃんとしているというわけですね(笑)。
磯崎——そう、あの作品のほうが建物より長持ちすると。だから、ある意味であの建物はエフェメナルなんです。デザインもエフェメナルだけど存在もエフェメナルかもしれない。だけど、大概そういうものですよ。
青木——そしてそれが、つまりアメリカ本来の伝統である。
磯崎——僕から言わせればアメリカのニュー・トラディション。
青木——それがアメリカのなかではなくて、アメリカの外で成功した。ようやくアメリカの伝統がそこまで完成形に到達した。
磯崎——そうですね。ビルバオはアート・ギャラリーとして成功し、キャナル・シティはコマーシャルで成功した。どっちもロサンゼルスをベースにした建築家の仕事です。要するに伝統というものはない。ものよりもステージセットのほうがリアリティがあるとされているような場所でできあがってきたものですから、大げさに言うと実物は10年もてばいいのかもしれない。例えば、もうMoCAの本体は15年たっている。だけどテンポラリー・コンテンポラリーはその間に二度改造しています。だから20世紀建築の最後というのは、この二つが象徴していると思う。これはクラフトの伝統のある日本にとっては大変厳しい評価基準なわけですよ。だれもそこまで踏ん切りがつかないから。
青木——物質的次元の水準は問わない。やりたいことさえ伝わればいい。メディアと しての建築、あるいは、物としてはどうしようもない建物。
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