論考:超高層地下街│瀬山真樹夫
   フィールド・ノーツ


超高層の地下へ


私は数年前初めて新宿駅に降り立ったとき、広大な地下空間に戸惑い、一度ならず迷って現在地を見失い、駅を東西に渡るための術がわからずに頭を抱え、結局地上に出てガード下をとぼとぼと歩いていた。今となってはもう忘れてしまっているような、そんなわかりにくさを新宿駅に感じていた[写真1]。

9月に私たちが歩いていたのは、まさにその新宿駅の地下街だった。ただし、主たる考察の対象は西口付近の地下街である。なぜ「ただし」と書かなければならないのか。それは、新宿駅周辺における「地下街」とは、行政的な区分にしたがえば次の4つだけだからである(カッコ内は開設年月、延面積の順)。[1]新宿駅東口地下街「My City」(1964・5、18675.3平方メートル)、 [2] 新宿駅西口地下街「小田急エース」(1966・11、29650.0平方メートル)、 [3] 新宿サブナード(1973・9、38363.8平方メートル)、 [4] 新宿南口地下街「京王モール1&1」(1976・3、17078.6平方メートル)。このうち[1]は、JR 新宿駅の東側に隣接しており、 [2] は西口のロータリーを挟んで南北に別れて配置されている。 [3] は、東口の靖国通り下に広がっていて[1]とは「メトロプロムナード」(営団地下鉄丸の内線の新宿駅、新宿三丁目駅両駅の改札が設置されている通路)と呼ばれる地下通路で連結されているものだし、 [4] は西口にある京王百貨店の南西部に隣接した地下にあり、都営大江戸線、都営新宿線の各駅にいちばん近い地下街である。要するに、わたしたちが今までフィールドワークの対象にしてきたのは主にこれら4つの地下街のような店舗を伴う地下の場所であり、地下通路や土木構築物的な地下の施設は意図的に除外してきたのである。もっとはっきり言えば、「新宿駅西口地下街」という「地下街」など行政的には存在していないのである。


だから、今回の新宿で言えば、超高層ビル群などは本来最も早い段階で除外されるべき対象である。しかし前回の横浜駅地下街のフィールドワークを通じて見えたのは、「地下街を平面的な記述のバリエーションにとどめるだけではなく、横浜駅地下街を契機に立体的なダイナミズムのうちにとらえていこう」とする、いわば形式を拡張する可能性であった。平面的な記述のバリエーションとして抽出した八重洲地下街、池袋地下街とは異なる形式を、地下街の断面を見ようとすることで発見できるのではないかと、あの横浜でのフィールドワークから考えはじめたのである。

このフィールドワークの原点に立ち戻ってみても、いまや地下街という商店の建ち並ぶ空間から地下空間へと思考を展開する時であることは明瞭だろう。おおざっぱに言えば、商店街としての地下空間を地下街と呼んで差し支えないが、わたしたちの思考の最終的な対象がそのような限定された場所そのものであるわけではなかったことを思い出しておこう。東京を思考する際の可能性(もちろん機能的な意味にとどまらない)をいかに発見するのか、その契機としての対象が地下街であったはずだ。

なるほど地下空間は地面の下に広がっているものだろう。しかし、地面の下とはいったいどこまでを指すのだろう? いったん地面の下に潜り、歩き回った最後にたどり着いた地上が、潜りはじめたポイントと物理的に同じ高さになくても、わたしたちはたしかに「その途中」をまさに地下として認識してきたではないか。横浜の考察で得た知見は、そのような地下空間の拡張性である。言い換えれば、「その途中」として続く空間を「地下ではない」と言い切る根拠など、実はわたしたちはどこにも持ちあわせていないのである。新宿駅の地下街から「地上」を求め続けてついには高層ビルの屋上まで達してしまった男は、階段を駆け上りながらもたしかに「地下」を経験しつづけていたのである(瀬山論考参照)。

話を戻そう。前回の考察を活かして新宿駅をとらえようとするならば、だからそのような「地下ではない」と一見思えてしまうような場所をどのように思考するのかが問われなければならない。このテキストの背後に広がっている奇妙な形の穴は、新宿駅西口に林立する超高層ビル群を影絵のように描き、天地を反転させた結果見える「地下空間」なのである。新宿駅の西口は「地下」だらけ。しかもその「地下」の最深部は、あろうことか地上300メートルを近い「高さ」にまで達しようとしている。超高層階の密閉されたガラス窓の内側を、「地下」として発見すること。ガラスの内側から、隣接する別の超高層ビルで働くあなたと私が目を合わせる。「地上だから見えるに決まっている」のではない。「地下なのになぜ見えるのか」という問いも成立しない。「地下だから」こそ、あなたと私の目線が交わる瞬間が生まれるのである。この一枚の写真が[写真2]、「どこまでが地下か」という問いの答えのひとつを開いていくものであることを願っている。わたしたちは、そこここに発見される「地下」を生きているのにほかならないのである。(山崎泰寛)



[写真1]

[写真2]

スタッフ
狩野朋子(協力)
塩田健一
瀬山真樹夫
田中裕之
戸澤豊(協力)
山崎泰寛