地下空間に関する考察(4)|松田達

ヴォイドの表面 転倒する地上と地下

春先の秋吉台は、山焼きの直後で黒く荒涼とした大地だった。数年ぶりの家族旅行で訪れたのは山口から広島にかけての観光地で、山口県中央部にある秋吉台と秋芳洞は、ほとんど通り過ぎるように数時間だけ見学することができた。けれどもこの広大なカルスト台地は予想外の魅力を放っており、どうやらその魅力はこの論考にも接続できそうなのである。

 
 
溶解する地上と地下  
秋吉台は、山口県秋芳町と美東町にまたがる面積約130平方キロメートルのカルスト台地である。カルスト台地とは、石灰岩からなる土地が雨水によって浸食されてできたものであり、その浸食によって独特の地形が発達している。
浸食のシステムはこうだ。石灰岩の主成分は炭酸カルシウムである。石灰岩台地に降る雨は空気中で炭酸ガスを溶かし込み、弱い酸性となる。この雨が地表の石灰岩に触れると化学反応を起こして石灰岩を溶かす。これを溶食という。溶食された地表面には石灰岩の柱やドリーネ、ウバーレ、ポリエ★1と呼ばれる凹地が現われ不思議な風景をかたちづくる。こうしてできた奇妙な地形がカルスト地形であり、乱立する石灰岩柱が見せる景観は羊の群れにもたとえられる[fig.1]



fig.1──石灰岩柱の風景(カレンフェルトという)
出典=秋芳町ホームページ
http://www.ync.co.jp/shuho/


浸食は地表面にとどまらない。秋吉台の石灰岩地層は数百メートルの厚さに及んでいる。地殻変動などでできた割れ目などにしたがって雨水は地下にしみこむ。割れ目は溶かされ、少しずつ大きくなり、やがて水路となり、小石や砂を流し、壁や天井がくずれ、さらに大きな空洞へと発達していく。地下水位が下がるとそこに洞窟ができあがり、また鍾乳石や石筍などの二次生成物が形成され鍾乳洞が生まれる[fig.2]。秋吉台では地上と地下は、雨水や地下水によって溶かされているのだ。



fig.2──発達した鍾乳洞
出典=秋芳町ホームページ
http://www.ync.co.jp/shuho/



★1──ドリーネとは石灰岩の地面が溶食によって陥没してできた漏斗状になった窪地のこと。カルスト地形においてはクレーター状に点在する。またウバーレとはドリーネが拡大し二つ以上連合したものをいう。ウバーレがさらに発達し、盆地となり人が住むようになった大規模なものポリエという。カルストとはユーゴスラビア北西部の石灰岩の山があるカルスト地方にちなんでいる。
接触する地上と地下  
秋吉台の地下には大小あわせて約420もの洞窟が発見されており、これらの洞窟は秋吉台全域に分布している。秋芳洞は全長約10キロメートルに及ぶ東洋最大の鍾乳洞ではあるが★2 、ここ秋吉台においては、その南のふもとに位置するひとつの洞窟に過ぎない。秋吉台は無数の洞窟の上に乗っかった台地である。
台地と洞窟は反転しあう。秋吉台に約5000あるというクレーター状の凹地はドリーネと呼ばれ、荒涼たるランドスケープを形成している。ドリーネには、雨水が石灰岩の割れ目の入口を広げてできたものと、地下の洞窟の天井が落ちてできたものがある。つまり洞窟が陥没してドリーネとなる場合もあれば、ドリーネの下に洞窟が発達する場合もある。台地と洞窟、すなわち地上と地下の境界は雨水によって容易に侵食され、微細な経路がつねに両者の転倒可能性をはらませながら上下の空間を密接に絡み合わせている。秋吉台において地上と地下はこのような形で近接している。
また、ドリーネが二つ以上組み合わさり大きくなったものをウバーレという。秋吉台には「帰り水」と呼ばれる場所がある。そこは深く侵食された大きなウバーレであり、地下の川が一瞬地上に顔を見せている。この川は実は秋吉台を流れる唯一の川である。ここでは台地が地下水位より低い位置まで侵食されているのであり、地上と地下が接触するまでに近づいている。帰り水とは、地上と地下が接触する特異点なのである。

★2──観光用に見学できるコースはそのうちの約1000メートルの部分である。ちなみに秋吉台(あきよしだい)に対して秋芳洞(しゅうほうどう)と読む。この鍾乳洞は約600年前に発見され、もともと瀧穴と呼ばれていたが、大正15年に昭和天皇が見学し、秋芳洞という名前がつけられた。
地層の逆転構造  
この帰り水地域の地層を研究した学者によって、地質学的に重大な事実が発見された★3。この地域の石灰岩にはフズリナという下等な単細胞動物の化石が多く含まれているのだが、浅い場所ほど古い時代のフズリナが含まれていたのである。地層は上にいくほど新しいはずなのだが、帰り水地域では下に行くほど新しい時代の地層が現われたのだ。
つまりここでは地層の構造が逆転している。この理由は次のように考えられている。まず大きな地殻変動によってこの地域一帯の地層は大きくしゅう曲し、地層の一部が逆転する。そして逆転した地層の上部が浸食されることによって地表面が消え、表面には最も古い地層が現われる。さらに浸食が進み、ドリーネが発達することによって、下部の新しい地層が顔を見せる。これが帰り水地域のウバーレである[fig.3]



fig.3──「帰り水」の生成過程
出典=山口県美祢市化石館「フォッシルパーク」ホームページ
http://web.infoweb.ne.jp/minecity/park/


深く浸食されたこの地形によって、秋吉台の地層の一部が逆転していることが明らかになったのである。帰り水は、実は地上と地下が接触しているだけではなく、地上と地下の逆転構造を示したという意味でも秋吉台の特異点となっているのである。
秋吉台においては、地上と地下は溶かされ、接触し、また逆転している。地上/地下という対立構造は限りなくその境界を失い、転倒し、また混じり合っているのである。

 
★3──フズリナの化石を研究していた東大の小沢儀明博士によって1923年に発見された。
挟まれたヴォイド  
ところでこのような転倒構造を、われわれはまたしてもレム・コールハース/OMAの作品に見出すことができる。《パームベイ・シーフロント・ホテル》(1990)はモロッコのアガディールに計画されたホテルのコンペ案である。外形は巨大な正方形が立体化されたもので、上部にはホテルの居室を示す無数の穴や、ナイトクラブやカジノの特徴的な形態が表われている★4
複雑なのはその内部である。断面をみると、二枚のヴォリュームをもったスラブが上下から中間のヴォイドの層を挟んでいる。下層にはオーディトリアムやコンベンション・センターなど、上層にはホテルとその諸機能の施設がおさめられており、上層は乱立するさまざまな大きさの柱によってヴォイドの層に乗っかっている。この構造そのものも秋吉台の台地と洞窟の関係に似ているのだが、さらに先へと話を進めよう。

 
★4──図版については以下のURLを参照。PDFファイルとして作品を見ることができる。
http://www.pritzkerprize.com/
つり下げられた地形  
ヴォイドの層は、床面が起伏をともなった地形となっており、平面図に等高線が書き込まれている。そして床面が地形になっているだけではなく、実は天井面も複雑な地形をしている。つまり地形が天井からつりさがっているのだ。この起伏は上下の層におさめられた諸施設の要求する天井高にしたがって生まれている★5
逆転された地形。この複雑なヴォイドの空間は二枚の地表面に挟まれた地上でも地下でもない空間である。もしくは二枚のスラブから見れば地上であり地下でもある空間と言えるだろう。台地でもあり洞窟でもある。さらに、この二つの地面はある部分において上下でつながっている。一方の地形の起伏がもう一方の地形を通り越しているのだ。「帰り水」のような特異点。《パームベイ・シーフロント・ホテル》においてヴォイドとマッス、地上と地下、上下といった関係性は、複雑に反転しつつ溶解している。

 
★5──★4参照。
ヴォイドの表面  
二つのマッスに挟まれたヴォイドの空間。この関係はいくつかのコールハースのプロジェクトに表われているが★6、OMA自身がマスタープランを進めるオランダのアルメラにおける《ブロック6》の計画は、形態的にも《パームベイ・シーフロント・ホテル》と非常によく似ている★7。おそらくその発展型だと考えられる。ここではマッスに建築家の領域外にあるプログラムが押し込められ、ヴォイドの表面がブロックのアイデンティティを決定すると提案されている。表面の情報の柔軟性がショッピングのマンネリ化を避けるのだという。
ヴォイドの計画からヴォイドの表面の計画へ。コールハースがここで見出したのはヴォイドの設計がヴォイドの表面の設計にほかならないということだ。表面が肥大化したヴォイド。それは内部空間を有効に利用するために必要な戦略である。逆にいえば有効に利用された空間とは内部空間的な特性を帯びており、表面が折りたたまれたヴォイドの空間だと考えることができる。
このようなヴォイドは、すでにマッスの対立項としてのヴォイドではない。《パームベイ・シーフロント・ホテル》において考察したような、ヴォイド/マッス、地上/地下といった関係性をつねに転倒させる〈ヴォイド〉である。

★6──《ボルドーの住宅》の三層構造も真ん中がヴォイドの層であり、さらにヴォイド自身が内部と外部に分割されている。《シアトル公立図書館》のプロジェクトも複数のマッスの層の間にヴォイドが挟み込まれているように見える。

★7──★4参照。
東京の潜在的表面積  
以上から導き出される仮説はこうだ。インテリアでしかない都市とは実はヴォイドの表面としての都市である。磯崎新は東京において建物はインテリアでしかないと言った。それは東京は表面が幾重にも折りたたまれた都市であることを示唆している。東京は表面が肥大化した外部のないヴォイドである。そして外部を欠いたヴォイドとは〈地下空間〉そのものである。
〈表面〉とは都市の物理的な表面であるだけでなく、空間の利用の可能性そのものも含んでいる。要するに、空間は利用しようとすればいくらでも表面積を増やすことができるということである。折りたたまれた表面とはそのような潜在的な利用可能性をすべて含んだ表面という意味である。
ここにおいて、初回から考察していた〈地下空間〉のイメージがより鮮明な形で定義できる。〈地下空間〉とは〈ヴォイド〉である。つまり外部のない空間であるだけでなく、表面が折りたたまれ複雑に利用されうる空間である。そして東京の複雑さの秘密とは、折り込まれて物理的には直接見ることのできない潜在的表面積の大きさにある。その肥大化したヴォイドの表面が東京を地上でも地下でもないような空間として認識させている。表面積の大きさが地上と地下を転倒させ続けるのだ。

*  
東京とは見えない表面が折り込まれた複雑な空間である。今回の考察について簡単にまとめるとそう言えるだろうか。そして地下空間に関してもヴォイドの表面という新しい捉え方の可能性が、コールハースを経由して見えてきた。そういえば秋芳洞に入ったときに感じた鍾乳洞の複雑さは、まさにヴォイドの表面の複雑さだったような気がする。


 
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