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2002.6.7 →archives

 

大島哲蔵

       


Jasper Morrison: Everything but the Walls, Lars Muller Pub.


Droog Design in Context: Less+More,
010 Pub.


Ed Annink: Designer,
010 Pub.


Integral Ruedi Baur et Associes, Lars Muller Pub.


essor thomas ruff,
Essor Gallery


George Nakashima and The Modernist Moment, James A. Michener Art Museum


ここで紹介した洋書は各地の専門店で入手できます(価格は多少の変動があります)が、困難な場合


Squatter-Ex
E-mail: squatter@zae.att.ne.jp or
Fax:06-6356-3340
で入手できます。

 

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 今月は少し趣向を変えて、建築よりもデザイン関係のめぼしい新刊を取り上げることにする。ポストモダン期以降のデザインは、「規制なし」と引き換えに主軸(基本的価値と言い換えてもよいだろう)を失い「何でもあり」状態を招来してしまった。ブランドの「放し飼い」に甘んじたといっても過言ではない。しかし最近、そうした状況の規定性を受けながらも、自分の路線を的確に打ち出すしたたか者が少なからず出てきたように思われる。今から考えるとフィリップ・スタルクあたりが、その露払い役を務めたようだが、この延長線上から空間の新しい切り口が生まれる可能性も十分予想される。

 先ずベテランの『Jasper Morrison: Everything but the Walls』(Lars Muller Pub.\9600)に感心させられる。カペリーニ社やアレッシ社に供給した一連の作品は日本でもポピュラーだが、実用性と遊び心、新鮮なマチエール感と合理的な技術適用に成功している。個別のアイテムを見ていた限りでは、納得したことがなかった人だが、こうして全貌を知ってみると彼の思考の展開がよく理解できるようになった。出版物というのはこうした役割も果してくれないといけない。

 次に『Droog Design in Context: Less+More』(010 Pub. \6200)はパラパラめくっているだけで、様々なアイディアが浮かんでくる。環境デザインの課題を毒気をもって扱うというのは、容易にできることではない。工夫とヒネリが利きすぎるくらい盛り込まれているが、その結果は無造作で展開の余地がふんだんに残っている。今日的なデザインの諸課題を考察するうえで、多様なヒントを与えてくれる触媒的な内容である。このノリを失ってしまうと、日本に多く生息する優等生の「デザイナー」ができ上がるという寸法である。

 『Ed Annink: Designer』(010 Pub. \6200)にもまた共通した傾向が見られる。気のきいたデザインが連続するので飽きさせないが、実はこの程度の才能なら日本にもいくらでもいる。したがって差があるのは流通させる力のほうであり、出版メディアの質に差異が認められる。もうひとつの問題は、例えば表紙に映っているポリウレタン製のフック(ハンガー)に引っかけて言うと、これを壁にかけて嬉しがるような人が(わが国には)あまりにも少ないということである。

 グラフィック・デザインの分野では『Integral Ruedi Baur et Associes』(Lars Muller Pub. \9600)が推薦できる。6名程度のパートナーにより運営されている事務所(ルーディ・バウルが統括者)だが、仕事のレベルや質が高くて2次元と3次元を横断する内容になっている。スイスのモダンデザインを基調にしているが、新しい感覚がしたたかに盛り込まれている。《チバウ文化センター》など建築家とのコラボレーションも多いし、最近では都市計画の仕事にも参加しているらしい。一番先に目につくのはタイポグラフィの巧妙な使用だが、素材(下地)との取り合わせや光と影の交錯を上手く利用している。構成メンバーは各国に散らばっているので、どのようなやり方(契約関係)で互いに仕事を推進しているのか知りたくなるが、さすがにその点だけは掲載されていない。

 『essor thomas ruff』(Essor Gallery \7400)をこのラインで紹介するのはそぐわない感じもするが、ルフの「写真」はいわゆる写真ではなく、アートもしくは広義のデザインワークに属する。これは昨年、ロンドンのギャラリーで開かれた彼の展示会のカタログなのだが、序文はヘルツォーグが執筆している。その文章によると、例のリコラ社の倉庫を撮影するよう依頼されたルフは、何と地元のフォトグラファーを雇っていくつかのショットを押さえ、自身はそのフィルムを入念に操作してあのイメージをつくり出したという。「オーディナリーな写真を撮るために、どれほど入念な操作が必要であるか思い知った」とヘルツォーグはその当時を振り返っている。ここには「建築写真」の他、ヌードとかポートレート、「科学写真と新聞写真」などが収められているが、もうひとつ狙いがわからないところ(写真の本質の隠蔽工作?)を含めて興味深い。

最後に『George Nakashima and The Modernist Moment』(James A. Michener Art Museum \3800)を紹介しておく。彼の本もいくつか出ていたが、今ではそのほとんどが入手困難になっている。今度の出版は小判で作品集とは言い難いが、コンパクトでよくまとまっている。気持ちの良い編集のお陰で、彼の世界が素直に伝わってくるように仕上がっている。平易で簡素な解説文も付されているので、彼のバックグラウンドもあらまし知れるが、予想通りというか、とても興味深い内容である。ただ最後のほうに、唐突に同時代の名作が同じ扱いで出てくるのは蛇足と言うものだろう。